温泉街の異形 別府グローバルタワー

日本唯一のアタテュルク像はもちろん串本町にある


日本で唯一のアタテュルク像、あるのはもちろん串本町。
そりゃそうでしょう、日本でアタテュルクの像があるとしたら串本以外には考えられないのですよ。
串本はトルコとの繋がりが深い町です。そこらへんの詳細は下記の記事を参照ください。



というわけです、アタテュルク像があるなら串本、というのをご理解いただけたでしょうか。
では次、そもそもアタテュルクって誰よ、というところですね。
とはいえ名前は聞いたことある人が多いんじゃないでしょうか、イスタンブールの国際空港が「アタテュルク国際空港」でしたもんね。特にスターアライアンス組にはお馴染みでしょう。2018年から新空港へと切り替わったそうです、新空港も名前付くんですかね。

さて話が逸れた。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk)はトルコ共和国の初代大統領でトルコ独立戦争の英雄です。「アタテュルク」は「父なるトルコ人」を意味するそうで、もうこれはトルコ建国の父とかトルコの国父と呼んでもいいんじゃないでしょうか。トルコの近代化を推進、スルタン制を廃止し現在まで続くトルコの世俗主義を導入するなど、その影響は色濃く残っています。

というわけでトルコの偉人、英雄、国父、の騎馬像です。
エルトゥールル号が座礁した樫野崎沖を正面に臨む場所に立っております。ちなみにトルコ軍艦遭難慰霊碑の建立を決めたのもアタテュルクです。
そのエルトゥールル号遭難120年に当たる2010年(平成22年)に、両国友好の発展を祈って駐日トルコ共和国大使館から串本町に寄贈されたのがこのアタテュルク騎馬像。高さ4.2m、重さは約4トン。制作はメティン・ユルダヌル(Metin Yurdanur)。

4トン


とはいえこのアタテュルク像、実は結構いわくつきなんです。
もともとこの像があったのは新潟県柏崎市。1996年(平成8年)に柏崎トルコ文化村が開業の際、トルコ政府から寄贈されたのがこの像でした。
しかしながらオープン後も思ったほどの集客はできず、更に1999年(平成11年)にメインバンクが破綻し資金繰りに窮するようになると2001年(平成13年)には休業、2004年(平成16年)には閉鎖となってしまいました。
ちなみにメインバンクは新潟中央銀行、後に頭取が不正融資による特別背任容疑で逮捕・起訴されてますね。この「柏崎トルコ文化村」に加えて「新潟ロシア村」、「富士ガリバー王国」の3テーマパークは廃墟好きには有名でしょう。

2001年の休業後は柏崎市が土地建物を買い取り、運営母体が変わって再オープンしたものの結局2004年11月に閉鎖。
以降、結婚式場を運営する企業に売却されて業種を変えて再開したもの、2007年(平成19年)に発生した新潟中越沖地震により「像が傾いてしまい倒壊する恐れ」があるとの理由で、アタテュルク像は台座から外され、以降は野ざらしで放置されていたとか。
そんな状況の中、ネットを中心にその処遇について盛り上がりをみせていったのを覚えているインターネット老人会の方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして紆余曲折を経て、最終的にはトルコ大使館からの依頼もあり、串本町が引き取ることになって2010年(平成22年)5月に現在地へと無事移設されたのでした。
なおこの移設に関する交渉や修復に関しては日本財団も関わっている…まじでどこにでも出てくるな日本財団、そして笹川良平。。。

そんなわけで2010年6月3日にエルトゥールル号の追悼式典とともにアタテュルク像の除幕式も行われ、「アタテュルク像があるならここ以外には考えられない」串本町に鎮座し現在に至るのです。

樫野崎灯台のすぐ近く



移設に関する経緯やらなんやらもっと詳しく知りたい方は下記リンク先をどうぞ。

参考:



ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像
Address : 和歌山県東牟婁郡串本町樫野

2021年2月訪問






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